とうとう国消国産に向きあう時が来た
現在の日本の食料自給率はカロリーベースで38%※1。約6割を輸入に頼っています。農家の減少や高齢化などにより、食料を生産する力が弱まっています。さらに、激変する世界情勢や円安などにより、農業生産に必要な資材の価格は、約3年前と比べて約1.5倍※2に高騰しています。
一方で、現在の世界人口は約79億人※3ですが、2050年には97億人まで増加すると言われています。もっと日本の農家が少なくなり、海外からの輸入も制限されてしまったら……私たちが食べるものはなくなってしまうかもしれません。
食料自給率が下がり、約6割をも輸入に頼っている日本。もし世界政情等によりその輸入を制限されてしまったら、日本人は食べるものを失ってしまう。いざそんなことが起きた時、日本はどれだけパニックに陥るだろうか。
もちろんそれもとても恐ろしいことではあるし、きちんと向き合うべき問題だ。しかしそれよりも今回僕が改めて国消国産を考えるようになったきっかけは「このままじゃ日本はやばいんじゃないか」と本気で思うようになったからだ。
宝くじは本当に無駄なのか

「宝くじなんて当たる確率が低すぎて買うだけ無駄」株式投資がみんな身近になってきてから、より宝くじを『確率の低すぎるギャンブル』と否定する声をSNS等でもよく目にするようになった気がする。
確かに宝くじの1等が当たる確率なんてもはやほぼ0と言っていいほど低い。身近な人で100万円当たったという人はいるが、それ以上高額当選した人は見たことが無く、大抵は当たらず良くて数百円返ってくるくらいなもんだ。
同じ金額をかけるならよっぽどパチンコや競馬などの他のギャンブルにお金を入れた方が倍以上に返ってくる確率は高い。確率がめちゃくちゃ低いギャンブルのくせに、CMやら広告やらをバンバン流して夢を見せて国を挙げて宝くじを買わせようとしてくる。
当たる確率なんて低いことは分かってはいるものの、僕もたまに宝くじを買ってみたりする。今の時代スマホがあれば簡単に宝くじを買うことが出来るから良い。
家のローン、物価の上昇、少子高齢化、加速していく不景気。将来のお金の不安が多すぎてわずかな希望にお金をかけてみる。マジで5000万円でいいから当たって欲しい。それだけあれば家のローン問題から解消されて、人生だいぶ楽になれるのに。
仮に数億円当ったらどうしようか。皆一度は考えたことがあることかもしれない。「宝くじ当たったらどうする?」というよくある話題が出た時に、僕は昔から割と面白くもない堅実的な意見ばかり出していた。
家庭を持った今はなおさら。もし今数億円当たったら、まず家のローンを返して、いくらかは高配当投資に回してお金の不安を無くす。それだけすれば普通に働くだけで、その後の人生はお金に困らず身の丈にあった贅沢をして暮らしていけるだろう。
あまり手元にお金を残しておくと仕事がばからしくなって辞めてしまったり、金銭感覚がバカになって結局破綻するという話を良く聞くので、残りは家族に分担する。親のローンの残りを返してあげて、新車を買ってあげて、弟や奥さんの家族にもお金を分担して。面白味は無いかもしれないが、それが一番人生を幸せに出来る宝くじの使い方だと思う。ただそれが出来ず、高額当選した人が数年後に破綻してしまう事例が多いから恐ろしいものだ。
そんな妄想をしながらも僕は数百円分をたまに買うくらいだが、特にサマージャンボなど大きな場面では数千円〜数万円買うなんて人もいる。宝くじは確かにほとんど当たらないギャンブルで、お金をかけても全て消えていくので無駄だと感じる。でも宝くじで集められたお金の一部は公共事業に使われているそうだ。募金や印刷経費などで経済を回す為と考えると、少しは買うだけでも意味があるのかなとマシな考えが出来るようになる。
そもそも僕は募金が好きだ。偽善者ぶりたい訳じゃないし、自分のお財布からお金が消えていくのはもちろん寂しいけど、困っている人や必要なところにお金が回るのは嬉しいし、自分が使うところと別のところでお金が使われれば経済も回る。
しかし宝くじで集められたお金が本当に全てしかるべきところへ分配されているのだろうか。宝くじにはいわゆる『利権』というものが絡んでいて、総務省などの天下り先へお金が回っているという話もある。
いろいろ調べてみると思ったより闇が深そうだ。国を挙げて宝くじを買わせようとするのもその為だろう。...なんというか、本当に汚い世界で腹が立つ。天下りしてるおじさんたちが少しでも手が足りないところで労働してくれるだけで、日本は今よりも少しはマシになっていたかもしれないのに。ろくに働きもせず、利権でのうのうと高給取りになっているのが腹立たしい。
そんなことがあるから「利権で喜ぶ奴らがいるから宝くじを買ってはいけない」なんて意見もある。宝くじは確率の低すぎるギャンブルだし、利権がらみで得する奴らのために運営されていると考えると確かに『宝くじは無駄』という考えにもなる。
当たるかもしれないし募金代わりにもなるからと宝くじを買うか、どうせ当たらないし利権に使われるくらいならそのお金で投資でもした方がはるかに良いと考えるか。どちらも良く考え、よく調べて行動する必要があると思う。何事も思考停止してしまえばこの不景気の時代では不利になる。買うか買わないか、無駄か無駄では無いかはよく考えて。だが僕はもう少し、わずかな希望をもとに夢を買い続けると思う。
Instagramばかり見ていると、住んでもないのにマイホームブルーになる

明日は待ちに待ったマイホームの引き渡しと早速新居への引っ越し。ハウスメーカー選びから数えると、ここまで1年と4ヶ月くらいが経った。長かったような、過ぎてみるとあっという間なような。
家づくりをする中で、1番間取りやハウスメーカー選びの参考になったのはInstagramだった。それまで始める理由が無く触れてこなかったInstagramだったが、家づくりの情報を得るためにと初めてアカウントを作った。間取りも決まって外壁やらなんやらも決まって、もう何も変更出来ませんよとなっても、Instagramで家づくりの投稿を見るのは楽しくて今でもついつい見てしまう。
Instagramに投稿される家は、どれも今どきでおしゃれな家が多い。『ホテルライクな家』と言われる家なんかは、本当にお高いホテルのような、超おしゃれな空間が演出されている。その他にも外観がこだわっていておしゃれなもの、広いリビング、吹き抜けや中庭、広い庭があるお家。どれも見ていて「いいなー」と憧れる家ばかりだ。
そんな今どきのおしゃれな家をたくさん見ていると、まだ住んでもないのにマイホームブルーになってくる。もちろん自分の家は外観も間取りも気に入ってる。だけどInstagramにあるような、おしゃれな家と比べると我が家はよくある新築の家という感じだ。
我が家のこだわりと言うものを挙げるとするなら、将来平屋使い出来るようにと考えた間取りだ。一階に3畳のファミクロ、リビング続きの4.5畳の洋室。洗面台は奥さんのこだわりでドレッサーテーブル付きの大きめのものを選び、リビングにはスタディスペースを作った。
ただそうなると、ほぼ総二階で延床面積37坪の我が家では、リビングの大きさは限られてくる。今流行りの広いシューズクロークなんかも憧れはあったが、我が家は玄関を広くする余裕は無く最低限のものとした。
土地も約50坪で、これ以上家を大きくすると駐車場や最低限の庭部分も無くなってしまう。もちろんお金もかかる。しがないサラリーマンの給料では、毎月のローン返済額は今の金額でも一杯一杯だ。もっと大きな土地、大きな家が理想だが、現実的に考えるとすべての願望を叶えるのは難しい。
もっとこだわったおしゃれな家を作りたいという願望もあったけど、それよりも現実的な、使いやすさを重視した。間取りを決める段階から、奥さんは「おしゃれな家も憧れがあるけれど、身の丈にあった家の方が良いし落ち着く」と言っていた。確かにたまにめちゃくちゃおしゃれすぎる家なんかをみると、逆におしゃれ過ぎて毎日住んでいると落ち着かないんじゃないかとも思ってしまう。だいぶ僕の頭は庶民派らしい。
だけど「もしももっと大きな土地で、こだわった家を作れるのなら」と考えるとワクワクする。最近は完全プライベートな空間が演出出来る、中庭がある家なんていいなーなんて思っている。中庭でなくても大きめのインナーバルコニーや、屋上を作るなんて選択肢もあるだろう。あとはもっとリビングを大きくして、もっとおこもり感のあるスタディースペースを作ってみたり、もっとリビング収納を充実させたり。「あれもいいなこれもいいな」と妄想が尽きない。
たまに「こんなにおしゃれな家いくらで建ったんだろう」と思うような家が多くある。土地代やら、外構費やら諸経費やらすべて含めたらいくらになるのかがすごく気になる。もしそれが数百万以上も自分たちよりも高いのなら「やっぱり自分たちには身の丈に合わないね」となるし、もしそこまで変わらないのなら、なおさらマイホームブルーになってしまいそうだ。
Instagramを含めSNSはいいところばかりを載せているとも聞くし、実際周りにSNSでよく見るようなおしゃれな家は少なくて、実際は我が家のようなよくある家って感じばかりだ。SNSの悪い影響を受けているのかもしれない。我が家は身の丈にあった家なのだ。お金やらをすべて含めて、自分が作った家が1番良い。
引っ越しというものは大抵憂鬱だ

待ちに待ったマイホームの引き渡しを控えて、粛々と引越し準備を進めている。引越しの日程を逆算しながら「もうこれは詰めても大丈夫かな」と考えながら段ボールに物を詰める日々。
1人暮らしであれば旅行カバンに収まる程度の本当に最小限の物さえあれば生活出来るが、2人暮らしとなると必要な物はなんやかんやで増えてくる。これまで一人暮らしの引っ越しを2回経験してきたが、やはりそれと比べると大変だ。
子供がいる家族の引越しなんかは、相当大変だろう。僕は親の転勤が多い、いわゆる転勤族と言うやつで家族で5回の引越しを経験している。今考えると、小さな我々子供達を育てながらの引越しは相当大変だったろう。今更ながら、親の偉大さを実感した今日この頃だ。
新居に住む楽しみ、特に今回はずっと楽しみにしていた新築戸建てへの引っ越しなので、これまでで1番引っ越しが楽しみな気持ちはある。
しかし今回はマイホームへの引っ越しなので、休日もローン契約のために印鑑を押しに行ったり、まだこれから始まる外構工事の最後の打ち合わせをしたり。引っ越し準備をしないといけない大事な休日に、さらにいろんな予定があってのんびりしてられない。
引っ越しというものは大抵憂鬱だ。仕事から疲れて帰ってきても、部屋はダンボールの山。帰ってからも少しでも引っ越し準備を進めていかなければならないので、家に帰っても気が休まらない。
今でも思い出すのが、社会人1年目の終わり頃に引っ越しをした時のこと。その頃は今よりももっと仕事のストレスが大きかったので、仕事から帰っても殺風景な部屋に気が休まらず、毎日とても憂鬱だったのを覚えている。8年ほど経った今でも鮮明に思い出せるくらいだったから、相当辛かったのだろう。
引っ越しに備えて仕事を控えめにしたいところだが、ちょうどこの引越しの時期に自分が任された大きな仕事があり、毎日目まぐるしく働かされている。正直言ってマジで最悪だ。
こちとら仕事なんかしている場合じゃないのだ。会社でも、新居で使えそうな便利なものを調べたりして、新居への夢を膨らませたいところなのに。普段よりも休憩時間を取れないし、貴重な休み時間も疲れてしまってついついだらだらして終わってしまう。平日も休日も、こうしてブログを書く時間が全然とれない。
引越し日も、とうとう1週間後となった。とりあえずはあと1週間の辛抱。もしかすると引っ越した先でも、ダンボールの開封作業が進まずまだ憂鬱を引きずっているかもしれない。そう思うとさらに憂鬱になる。そのうえ今の忙しい業務も、この1週間が山場だ。本当に何もかもドンピシャで来やがる。相当に運が悪い。
この1週間は仕事もプライベートも忙しさの山場。心も身体も潰れてしまわないかが心配だが、引越しの憂鬱さにも負けず、新居への夢と希望を持って日々を過ごしていくしかない。スマホで新居の間取りなんかを見ているとわくわくするが、目の前の段ボールの山を見るとまた目の前の現実に引き戻される。引越のサカイの可愛いパンダも群れになると、恐怖すら感じているほどに、それなりに心は憂鬱なようだ。
サマータイムレンダを観ながら思っていたこと

GW中にサマータイムレンダを観た。奥さんから「めちゃくちゃ面白いから観て!」と熱烈にオススメされたのがきっかけだった。大きな予定も無い大型連休に暇を持て余していたところだったので観始めると、あまりの面白さに止まらず、2クール25話あったアニメをたった2日で観終わってしまった。
サマータイムレンダというアニメの存在は、以前からNetflixで見かけたので知ってはいた。だがそのNetflixでのサムネイルは、ヒロイン「小舟潮」のスクール水着のような水着姿が花火をバックにどどーんと映し出されていて、正直「なんだこのアニメは」と興味を示さなかった。
どうやらNetflixのサムネイル画像はその作品の中から優れた?コマから自動生成されるらしいが(詳しくは知らないけど)なぜよりによってあのシーンを抽出したのだろうか。サムネイルを見ただけではただの青春アニメなのか、はたまた少しエッチなものなのかもしれないとも思っていたくらいだ。
だが実際観てみるとタイムリープ物のSFサスペンスで、ただの青春アニメとは大きく異なるアニメであった。一度観始めると次々と観たくなる作品で、つい一気に観てしまった。リアルタイムで追っていたら、早く次の話が観たくなって悶え苦しんでいたことだろう。放送が終わった後、一気に観れるタイミングで出会えて逆によかった。
話をサムネイルの話題に戻すが、あの水着姿のサムネイルではこのアニメの雰囲気が全然伝わって来ないと思う。まあ確かにあの海から小舟潮の『影』が登場するシーンはとても大切なシーンではあるけれども。とはいえ絶対にサムネイル画像は普通に公式のサムネイルのほうがカッコいいし、見たことがない人も興味を持つはずだ。
サムネイルの他に、サマータイムレンダを観ていて単純に「面白い」という感想の以外にずっと考えていたのが主人公「網代慎平」の『物事を俯瞰する力』が凄すぎるということだ。公式サイトを見てみると
自分の状況を客観的に"俯瞰"しようとする癖がある。
とあるが、あれはもうただの『癖』とかいうレベルでは無い。物語の中で網代慎平が俯瞰しようとすると、もう1人の網代慎平が本人の後ろ上空に登場し物凄く冷静に物事を分析し始める。あるシーンでは俯瞰する網代慎平が本人に語りかけるような場面も出てくるほどだ。もう特殊能力というか、もはや軽いスタンドみたいになっている。
よく自己啓発本なんかを読んでいると、物事を俯瞰して考えれるようになれば、目の前の出来事やストレスに慌てず冷静に対処出来るという様な内容がよく出てくる。僕はサマータイムレンダを観ながら「ここまで完璧な俯瞰があるだろうか」とついつい思いながら観てしまっていた。
一言に『俯瞰する』と言われても、なかなかイメージも付きにくいし俯瞰するという考え方を定着させるのも難しい。僕自身「もっと俯瞰して物事を考えれるようにならなきゃ」と今まで何度も思ったことがあったが、なかなか習慣として身に付かないし、自分なりに俯瞰したからといって、そう簡単に目の前のストレスに対処できない。
そんな中、あんなに完璧というか特殊能力的な『俯瞰』を観て「あー、俯瞰ってこうすればいいんだ」とお手本を見せられた気分になった。あんなに面白いSFサスペンスアニメを観れただけでも良かったのに、まさかそんなことまで考えさせられるとは。僕もあんな風に俯瞰が出来れば、あのアニメの世界のような壮大な出来事まではいかなくとも、目の前にある小さなトラブルくらいは対処できるようになるだろうか。
連休の『何かしなきゃ病』

GWも今日を含めてあと3日で終わりとなってしまった。5月2日に1日だけ仕事があったが、その他はずっと休みだった。1日の出社を除くともう5日も休んだらしい。あっという間に5日もの休みが消えた。残念ながらそれは「毎日が充実しまくっててあっという間だったわ〜」とかいうリア充的な発言ではなく、ただただあっという間に過ぎたという事実だけだ。
もともと僕は交替勤務が多いので、会社に入ってから長期連休など関係ない年がほとんどだった。たまに運良くGWや正月休みがあった時は、昔は高校の友達との集まりに参加したり、県外から地元へ帰ってくる友達と遊んだりしてそれなりに楽しく過ごしていた。
昨年から仕事が交代勤務から日勤へと変わったので、今回もGWを迎えている訳だが、最近はもう滅多に合わない高校の友達との集まりに参加するのは億劫になってきたし、僕は仲の良い友達に限って県外へ出て行ってしまっているので、皆家庭ができ、彼らがなかなか帰ってこなくなった今では友達と久しぶりに遊ぶような予定は無くなってしまった。
共働きの奥さんは連休も変わらず仕事なので、本当に誰かとどこかに出かける予定もない。ただいつもと変わらない休みが続くだけだ。振り返れば、正月も同じような悩みを抱えていた。どうやら僕は連休を上手に使うことが出来なくなってしまったらしい。
ということでこの連休は、あまり普段と変わらない休日を過ごしている。しかも妊活のためにサウナを禁止している今は休日の楽しみが激減している。サウナが無いと生活にメリハリが無い。毎日同じようにブログを書いてみたり、本を読んだりゴロゴロしたりする日々だ。普段と違うのは、今月末に引っ越しを控えているので、その準備をしていることくらいだろうか。連休っぽい予定があるとすれば、県外に住む仲の良い友達数人とリモート飲み会を1日開催する予定があるくらいだ。
世間がこれだけ連休ムードに沸いていると、普段と同じような休日を過ごしているとなぜかちょっと虚しくなる。連休は『何かしなきゃ病』が世間と取り巻いているように思う。「GW何するの?」と連休前に聞かれた人は多いのではないだろうか。確かに気になることではあるし、会話の取っ掛かりとしてはいい話題なのかもしれない。だが特に大きな予定が無い僕からすれば、言い方は悪いが完全に余計なお世話である。
確かに連休となると昔はそれなりに遊んでたし、もうすぐ奥さんも仕事を辞めるので、この悩みは今回で最後になるかもしれない。今年は特に予定が無いから、こんなにひねくれているだけなのだろうか。でもあなた達がそんな連休は何かしないといけないムードを作ったせいで、僕は今なんとも言えない虚しさを感じさせられているのだ。
もちろん世間のムードだけでなく、単純に「せっかくの連休なんだからいろいろしたい」という自分の気持ちもあると思う。でもその気持ちも、もしかすると世間の『連休は何かするものだ』という考えが、潜在意識の中に植え付けられた結果なのかもしれない。どちらにせよそんな考えのせいで、なんだか虚しい気持ちになってしまうのだから厄介なものだ。
そうこうしている今も、時間は無慈悲に過ぎていく。今日はこれから何をしようか。何をすれば、自分は連休を満喫出来たと思えるのだろうか。結局今年のGWはいつもと変わらない休日が過ぎ、『何かしなきゃ病』を患ったまま連休が終わりそうだ。
初めて口コミを投稿してみたくなった

今のネット社会において、口コミというのはとても重要なものだ。Googleマップで行ったことのないお店を調べる時、大抵口コミにも目を通す。高い評価や、良いコメントが書かれていれば期待値は上がるし、逆に評価が低く、悪い口コミが書かれていたら行くのを少し躊躇ったりもする。
少し前から、近所にある小さな韓国料理店が気になっていた。韓国料理を食べれるお店も少ないし、最近なんだか韓国料理を食べたい欲がフツフツと沸いていたところだ。もちろん口コミにも目を通す。評価はそこそこ良さそうだ。今日は特に予定も無い休日。せっかくならお昼ご飯くらい新しい挑戦をしてみようと家を出た。
車で数分で到着し店に入ると、休日ということもあり人が多いようだった。先に店内に入った人達の会話聞くと、どうやら料理の提供まで少し時間がかかるらしい。店内に入り「どれくらい待ちますか?」と店員さんに聞いてみると30分くらいかかるとのこと。急いでいるわけでも無いし、1人でのんびり待つのも悪くないなとそのまま店に入ることにした。
小さいお店だが居心地がいいところだった。時間がかかってしまうのは店員さんが少ない為らしい。今日は1人で来たが、カウンター席もありおひとり様にもありがたい。メニューを開き、手頃なランチメニューの中からタッカンマリのセットと、今までちゃんとお店で食べたことがなかったヤンニョムチキンを追加で注文した。そんなに待つ事を想定していなかったので「小説でも持ってくれば良かったな」なんて思いつつも、スマホで調べごとをしながら暇を潰しているとあっという間に20分が経ち「大変お待たせしました」と頼んでいた料理が運ばれてきた。
タッカンマリという食べ物は初めて食べたが、鶏肉がほろほろとほどけるほど柔らかく煮込んであり、少し辛いが鶏肉の旨みが滲み出ていてとても美味しい。追加で注文したヤンニョムチキンも、タレの味がしっかりしていてとても美味しかった。歩いても来れる距離だったので「せっかくなら歩いてきてビールでも飲んでやればよかった」と少し後悔したくらいだ。普段1人で外食する時は、食べ慣れた店を選ぶことが多いが、今日は挑戦してみて正解だった。
セットに加えてヤンニョムチキンも追加で注文したのでしっかり腹は満たされた。美味しいご飯を食べれて満足してレジで会計をお願いすると、店員さんが「お待たせしてすみませんでした」とまた声をかけてくれた。正直待ったのは20分くらいで、実際あっという間に過ぎたので、美味しいご飯を食べ終わる頃には少し待ったことを忘れていたくらいだった。「いえいえ、全然大丈夫です。美味しかったです。」とこちらも返事をした。優しい店員さんの一声に心まで満たされた。
美味しい韓国料理を食べれて、優しい店員さんの言葉に心が癒されて、店を出てふと「口コミを投稿してみようか」という考えが浮かんだ。これまでGoogleマップ等の口コミは、見ることはあっても自分が投稿しようとは思わなかった。むしろこれまでは「この人たちは何のメリットがあって口コミを投稿しているんだろうか。これが趣味なのかな。」なんて考えたりしていたくらいだ。
だけど今回僕は「いい店だったから、良い口コミを書いてこの店を応援したい」という考えが浮かんだ。口コミには「そのお店を応援する」という側面もあると思う。特に今回のようなチェーン店ではない小さなお店は、いい口コミがあれば行ってみたいという人も増えるかもしれない。
例えば商品レビューなんかには一部サクラのような嘘のコメントが投稿されている物や、わざわざ批判的なコメントをするために口コミを投稿する人もいる。僕は批判的な口コミをするのはどちらかといえば反対だ。
「どちらかといえば」なんて少し濁した表現をしたのは、実際この世の中には一定数悪質なお店や商品が存在するもので、そういうものを無くしていく為に正常に口コミが働くことは賛成だ。だがほんのちょっとでも自分が気に入らないことがあったり、ストレスを解消するかのように低評価を押し、悪い口コミを投稿し続けるのは反対である。
口コミやレビューが正常に稼働し、良いものは良いと、本当に悪いものであるならば悪いと世間に伝えられるのであれば口コミを書く意義はあると思う。とりあえず僕はこの韓国料理屋さんのように、本当に良いものはそのお店に繁盛してもらいたいので、世の中に「ここは良いお店だったよ」と伝えたい。いいお店があったら、その店を応援する気持ちでいい口コミを書くのは結構いいかもしれない。
そう思い僕は初めて口コミの投稿ボタンを押し、今日行ったお店に星5の評価を付け、良いコメントを残した。