ゆうまるらいふ

悩めるサラリーマンの頭の中

心に『仕事』の呪いがかかると気が休まらない

心に『仕事』の呪いがかかると気が休まらない

 

11月の最終日に急に投げられた重たい期限付きの仕事。設備改造を依頼する案件で、ざっくりとした内容しか知らないままに、工事依頼をするべくおおまかな仕様決めや変更に関する手続きやら、初めてのことばかりの仕事を振られた。しかも期限は12月末まで。

役職が変わってまだ間も無く、ただでさえ慣れてないことが多いのにめちゃくちゃに重たい仕事を投げられてしまった。正直僕が来る前から少しでも進めてくれればこんなに焦ることも無かったのに。。もっと余裕を持って進められたのに。。そんな不満を爆発させたいくらいだったが、皆多くの仕事を抱えていて僕よりも仕事が出来る人ばかり。時折助けをもらいながらも頑張るしかなかった。

 

重たい仕事がのしかかった時、心にその『仕事』の呪いがかかってしまう。会社ではその仕事を終わらせないといけないと常に焦ってしまうし、家に帰っても、休日でさえもその仕事を思い出して憂鬱になる。

この呪いを解くにはその仕事を終わらせてしまうしか無く、家では少しもその仕事に着手出来ないため「こんなモヤモヤするくらいなら早く仕事したい」という考えに陥ってしまう。仕事したくないのに仕事したいという、なんともおかしな言葉が生まれるのだ。仕事ばかりの人生は嫌なのに、仕事を抱えすぎると時間が全然足りないから仕事したい。

 

結局年末年始が挟んでしまうため12月までには終わらず、少し心にしこりを残したまま正月休みを迎えることになりそうだ。とはいえ一番大きな山は超えたので、なんとか正月休み中は心穏やかに過ごせそう。仕事の呪いが徐々に解け始めた。

 

まあここまで重たい、しかも期限も短い案件は今後1年に一回あるかくらい(だと信じたい)なもんだ。まだ完全には終わってないけど、今回は本当によく頑張った。初めてにしろもっとこうしとけばよかった、ああしとけば良かったと反省することはたくさんあったけど、苦手なこともたくさんこなしたし人間としても成長出来たと思う。完全にこの案件を片付けられたら、盛大に祝いたい。

 

本当は仕事のことなんて会社を出れば一瞬で忘れられるほどのメンタルが欲しいんだけど、残念ながら自分にはそのスキルはまだ身についていない。仕事を頑張れるのは自分のいいところではあるのだけれど、その結果呪いにかかるとストレスを貯め混み続けて自分でも「ちょっと危ないな」と感じてしまう。

 

ほどほどに。所詮仕事なんだからきっぱり切り替えて。結局呪いをかけているのはストレスがかかる仕事や人のせいでは無く、切り替えられない自分自身のせいなのかもしれない。一歩でも会社の外に出ればスパッと仕事のことを忘れて、会社に出た時にリフレッシュした体で全力で仕事する。そんな人がデキる社会人なのかもしれない。2024年はそんな社会人に近づけるだろうか。

仕事ばかりの日々を彩る方法を真剣に考えてみる

最近本当に仕事が忙しくて、一日があっという間に終わってしまう。家に帰ってからプライベート時間が3~4時間くらい。もう数ヶ月の辛抱でその後は少しは楽になるはずなんだけど、とにかく日々を仕事に圧迫されてる感覚が強くて日々の充実化が全然出来ていない。もうそろそろ疲れて来たし、2023年も残りわずか。真剣に、仕事が忙しい日々でも人生を彩る方法を考えてみることにする。

 

理想の朝の過ごし方

まずは理想の朝から考えてみよう。充実化させるにはどんな朝にすれば良いか。

僕の理想の朝の過ごし方は、まず朝7時に起床。朝食を食べた後、美味しいコーヒーを淹れてパソコンを開き、ニュースを見たりブログを書いたり。8時半頃仕事へ出かける。

しかし現実は朝が早い仕事なので6時前には起床。少し布団でスマホを見て目を覚ましたあとはすぐ身支度をして、出社し会社で朝食を食べる。食べ終わればすぐメールチェックの仕事から始める。

 

つらい。理想と現実がかけ離れ過ぎて辛い。社会人の朝のテンプレみたいな生活。毎日優雅な朝を送ってみたいと思うし、時間があれば朝活なんてものをしてみたいけど、いかんせん朝が早いから無理だ。これ以上早く起きるとなると、何度か試したがきつい。5時に起きれる人とかマジですごい。

 

まあそう嘆いてばかりいてもしょうがない。今回は真剣に日々を彩る方法を考えるということで、せめて無理ない範囲で朝出来る朝活をしてみようではないか。これまで何度か朝活に挑戦しよとしてきたけど、あまり早すぎると日中仕事に支障をきたすし、朝活も頭がぼーっとして何も進まない。無理ない範囲で朝活をするにはせいぜい10分程度。

2023年に入って、この10分の時間を有効に使うべく朝日記を書くことにした。

  • 日記を書くと後に振り返りが出来る
  • 夜よりも朝の方が疲れた・眠たいなどの弊害がなく続けやすい
  • ネガティヴな感情を引きずりにくい

などそれなりにメリットがあった。そもそもこれまで日記を書いたことがなかったので、日記を見て振り返ると意外と毎日いろんな出来事があったり、その時の考えが振り返れて面白い。朝日記はモーニングページなる頭の中を整理するのに用いられたりもする。ポジティブな一日を過ごしたいという方には続ければ効果があるらしい。

studyhacker.net

ただ僕は朝からそこまで前向きな行動をするのは続かなそうだったので、シンプルに前日の日記を書く朝日記を書いている。そんな生活をしばらく続けていたが、最近仕事が忙し過ぎて、家に居る時でも仕事のことを考えてしまうようになった。これが結構ストレスがかかる。そんな仕事脳を整理したく、最近は日記は夜に書くスタイルにして、朝10分の時間は瞑想に充てることにした。

 

 

まだ1週間ほどだが、少しずつ効果が出ている感じがする。

  • 仕事のことを思い出す時間が減った
  • 減った分仕事以外のことを考えられるようになった
  • 「ああいいか」とネガティヴ感情を切り替えれるようになった

劇的にではないが、徐々に変化を実感している。今の自分にはそれなりに効果があるようだ。今後長期で続けていけばどうなるのか、面白そうなのでしばらく朝活は瞑想をすることにする。

 

会社での過ごし方

朝編までで長々と書いてしまったけど、今度は肝心な会社での過ごし方。ここでどれだけストレスをかけないかが人生を彩る為には重要だ。

とはいえ仕事への向き合い方自体は『前向きに目標をもって頑張る』に尽きる。「しょせん仕事だから」とやる気も無くただ時間を潰すだけでは確かに目標を達成できなかった自分に悔しさを感じるとか、余計なストレスは割り切ってしまえば少ないかもしれない。

 

しかしその代わり仕事にやりがいを感じられないのは勿体無いと思う。せっかく仕事をするなら少しでも楽しんでやりたい。頑張る分辛いことも増えるかもしれないけど、その分達成感も味わえる。まあ正直、そうでも思わないとこの理不尽なくらい忙しい状況をやってられないというのが本音だけど、そういう忙しい状況にいるのであればそう前向きに考えないと勿体ないかな。

 

しかしそうなかなか前向きに考え続けるのも疲れるし、それだけではやる気が出ない時もある。最近は仕事に費やす時間が増えてしまっているから、せっかくならドーパミンの割り振り方をもっと仕事に振ってより楽しめないかと実験している。

 

yuumarulife.net

あとは気持ちの切り替えを大切にしたい。最近昼の休憩時間も仕事で気になることを調べたり、仕事モードを引きずり続けて気持ちが休まらない。もっと時間が来たらスパッと切り替えて、その時間を投資の時間に充てるとかもっと仕事以外で有効活用したい。仕事で気になることが残っても、思い切ってスパッと切り替える気持ちが大切かな。

 

帰ってから寝るまでの過ごし方

一日頭をフルに使ってへとへとになって帰ってからの時間。この時間で一番重要なのは『どれだけ気持ちをリセット出来るか』だ。少しでも仕事モードを引きずったままでは、HPを満タンに回復出来ていないまま戦いに出かけるのと一緒だ。月曜日から金曜日にかけて日に日に消耗してしまい、終いには土日休みでも回復しきらずどんどん心と体が削られてしまう。

 

まあそう分かってはいるものの難しいものだ。気持ちを切り替えれるほどの時間の使い方って難しい。食事をとってお風呂に入るだけでも時間が取られる。家事や育児があればなおさらだろう。

 

ただせめて、惰性でスマホを見て時間を潰してしまうのは減らしたい。ストレスがかかっていると簡単にドーパミンを出せる消費行動を取ってしまうからやっかいだ。少しでも筋トレするとか時間があればランニングに出かけるとか、読書をするブログを書く何でも良いから自分のプラスになる行動が出来れば、のちのち効果や成果を振り返った時、自己肯定感が上がると思う。ついスマホに手が伸びる状況をどれだけグッと堪えられるかが大事だ。

 

さて、長くなってしまったが改めて仕事ばかりの日々を少しでも彩る方法を考えてみた。こうして書いてまとめてみると、意外と出来そうかな。一番大切なのはいかに少ない時間で仕事で疲れた気持ちをリセット出来るか。しかしこれが本当に苦手で難しい。

気持ちの切り替えが早かったりしっかり出来る人は、ストレスを引きづらないんだろうなと思う。瞑想を続けたり前向きな行動を増やしてみたり。コツコツ続ければ、前向きに考え続ければ気持ちの切り替えを早く出来るスキルが身につくだろうか。2023年も残りわずか。来年につながる良い結果を残したい。

最近人生を楽しめて無いのでドーパミンの割り振り方を考えてみる

最近仕事が一気に忙しくなってプライベートの時間が全然充実していない。毎日毎日朝早くから遅くまで仕事をしていると帰っても自分の時間は3時間程。ロングスリーパー気味なので、次の日に備えて早く寝ないとしんどいから夜更かしも出来ない。

 

そんな生活を気付けば2ヶ月程続けている。怖いのが、なんか最近人生を楽しめていない気がする。ブログとか、趣味に対するやる気が薄れていっているような。

ブログでいえば毎日仕事ばかりしてるというのもあると思うけど、記事にしたいネタが日常から湧いてこない。「え?これってもしかして鬱とかになる前のやばい傾向なのかな?」と最近焦っている。

 

単純な忙しさとプレッシャーでやられている可能性は確かにあるけど...そこまでかなあ?自分はきっと大丈夫だと思いつつも、確信が持てるものでも無く漠然とした不安を抱えている。まあそれもだし、単純にもっと人生を楽しまないと、最近仕事しかしてないし忙しくて時間があっという間に過ぎていくし人生損してる気がしてならない。

 

そんな時、最近「もっと楽に早起きが出来ないかあ」とKindle Unlimitedでふと見つけた『ドーパミン復活早起き法』という本を読み、『ドーパミン』という脳内ホルモンの面白さを知った。

 

ドーパミンと聞くとパチスロで大当たりして脳汁ブシャー、みたいななんかちょっとアブナイ方の快感みたいなのを想像してしまうんだけど、どうやら人間の行動というのは全てこのドーパミンの欲求に従って行動しているらしい。

 

しかも一日に分泌出来るドーパミンの量は決まっていて、その分量を上手に割り振ってやらないと人間はドーパミンが簡単に手に入る物を選択してしまうという。スマホSNSYouTubeなどの動画を次々に見ることで簡単に、しかも大量のドーパミンを得られるらしい。だから人はドーパミンの欲求に従ってスマホに取り憑かれるのか。

 

そんな無駄なことばかりに一日のドーパミンを使われちゃあ、スマホで無駄に消費した時間以外の出来事を楽しく感じられないし後になって何も残らず、ただ「無駄に時間を過ごして気付けばまた仕事」という負の連鎖に陥ってしまうじゃないか。怖すぎる。

 

要はこのドーパミンを上手く使いこなすことが出来れば、仕事に今よりも楽しさを見出せるかもしれないし、プライベートの時間も無駄に時間を消費せず、より楽しいと思えることや自己研鑽に励むやる気が出てくるということだ。

 

確かに平日仕事終わりに気付けばいつもすぐスマホをいじっていたな。最近ブログに向かう時間が減っていたのも、スマホに時間を奪われていたのも大きい。

 

ドーパミンというものを意識し始めてから、ドーパミンの割り振り方というのを意識しながら生活している。なるべくスマホを見てダラダラしてしまう時間をやめてみたり、何をするでも無くボーっとする時間を作ってみたり、他の事柄にやる気や楽しさを感じられるようにしている。

 

ドーパミンの割り振り方を変える行動をすれば、もっと人生が豊かになるのだろうか。スタミナゲージみたいにドーパミンゲージが見れればいいのに。スキルパラメータみたいに、1日のドーパミンの割り振りを決められればいいのに。そうすればもっと分かりやすく結果が見えるのに。

 

まあスマホに時間を奪われている無駄な消費活動が減れば、その時間をもっと有意義なものに変えることが出来れば、それだけで人生は豊かになるかもしれない。そう信じながら、ドーパミンの割り振り方を意識して生活している。

本気で仕事に取り組む人は損なのだろうか

本気で仕事に取り組む人は損なのだろうか

久しぶりに会社の飲み会があった。コロナ禍があってすっかり飲み会自体も減ってしまったので、たまに飲み会が入ると「若い頃はよく飲み会に行ったなあ」となんだか懐かしく感じる。

会社の飲み会となると、やはり仕事の話になることも多い。きっかけは忘れたが仕事のモチベーションの話になった時、同期が「俺は適当にやり過ごして仕事が終われば良いかな」と言った。その発言に、少しモヤモヤしてしまった。

 

ちょうど今自分が新たなプロジェクトを任されたり、役職が変わったりして必死に仕事をしている最中だからだろう。確かに僕もモチベーションが無くなってそう思っていた時期もあったから、その同僚の考えが悪いとか、許せないとか言うことでは無い。

 

しかし自分もそんな時期もあったものの今では頑張らなければいけない立場になり、環境が変わり、モチベーションが実際上がったのかそう思い込んでいるだけなのかも分からないままに必死にもがいている今、そんな発言を聞くと「はたして本気で仕事に取り組むのは幸せなのだろうか」と考えてしまう。

 

成果を出して認められたい、それなりに出世したいと仕事に本気で取り組む人と、ただやり過ごして給料を貰えれば良いと考える人、どちらが幸せなのだろうか。令和では後者の方が支持されるのかもしれない。

まあ極端に働く・働かないでは無く、程よく頑張るのが一番良いんだけど、そうして自分なりにマイペースに仕事を頑張っているうちに上に摘み上げられてしまった。

 

僕は重たい責任は負いたくないからそんなに出世したいわけでは無いけど、職場では認められたい。そのためには頑張って成果を残して、必然的にそれなりには出世する必要がある。尊敬する先輩がいて、あの人のようになりたいと背中を追い、年が近い先輩後輩に負けてられないと努力する。

そんな気持ちで仕事をしていると、やはりいろいろと辛い場面が出てくる。周りを気にしすぎて勝手に落ち込んだり、頑張っていると色々と仕事を振られて責任を負わされる。結果的に責任を求める行動をしているのに、いざ責任が舞い降りて来るとこれまたストレスがかかる。

 

残念なことに、僕の仕事は「頑張りすぎる人が損をする」仕事だ。仕事が出来る人、頑張る人には仕事が回って来るけど、ほとんど年功序列の昇給。大きい会社だとそんなデタラメな人事制度になってしまう。そんな理不尽な状況にモチベーションを上げれない人はやはり一定数出てきてしまう。

 

そんな会社で必死に頑張っていると「自分は損をしているのではないか」と考えてしまう。僕が今必死にもがいている中で、ただやり過ごすようにダラダラと仕事をする人は一定数いる。そういう悪い人ばかり見ていると必死にやっている自分がバカらしく思えてしまうけど、同じ立場や上を見上げるともっと努力していて尊敬出来る人がたくさんいる。

 

周りを見て自分の業務の遅さや実力の無さに落ちこんだり、この仕事が向いていないなと思いつつも僕は「働くこと」自体は嫌いではないので、頑張れているというのもある。誰かが頑張らないと会社というものは回らないし、職場は良くならないのだ。それが働くということだ。本気で仕事に取り組むことを正当化するには、そんな綺麗事しか出てこない。もっと劇的に給与面で差が出れば良いんだけど、手当は出るけど見合ってない。

 

とはいえここでいくら嘆いても、目の前には溢れんばかりの仕事があるので本気で仕事に取り組むしかない。別に転職したいという話ではないから、結局環境が変わらないのであれば綺麗事でもなんでも良いから自分に言い聞かせて仕事を楽しんでしまうしかないのだ。そう思いつつも、おそらくずっとモヤモヤし続けるだろう。

ブログを書く人を見る世間の目

ブログを書く人を見る世間の目

 
ブロガーの人口っていうのは意外と多いのかもしれない。実際周りにはブログを書いてるなんて人はこれまで2人程会ったことがあるくらいで、まあそういるものでもない。しかしアクティブユーザーは一旦別として、各ブログサービスに登録しているユーザー数は結構な数いるらしい。
 
note 7,760万 6,300万
※2020年5月
はてなブログ 6,900万 147億 ※2021年1月 全サービス計
Amebaブログ 18,960万 7,500万 ※2021年1月

 

引用:【2022年版】「note」のユーザー層を徹底分析! ヒトノート -Hito note-

 
最近はWordPressでブログを作る人も多いし、アクティブユーザーも結構いることだろう。それでも身の回りにブログを書いている人を見かけないのは単純に日本の人口に対してはやはりブログを書いている人は少ないのか、それともオープンにせず誰にも悟られぬよう秘密を守りただひた隠しにしている秘密主義ブロガーばかりなのだろうか。
 
実際僕も、ブログを書いているのを話しているのは本当に仲の良い友達くらい。(友達が少ないことはひとまず別として)会社で自分からわざわざそんな話をすることもなければ、趣味や休日の過ごし方を聞かれてもブログを話題に上げることは全く無い。
 
そう思っているのは、少しブログを書く人を見る世間の目が気になるからだ。「ブログなんて楽しいの?何をそんなに書くことがあるの?」なんて言われるのが目に見えてるし、そんなこと聞かれると非常にめんどくさい、というかだるい。
「書いてるブログ見せて」なんて言われた日にはもう大変だ。普段全世界にこんなブログを公開しているくせに、知り合いに見られるのはなんか非常に嫌だ。なぜかと言われると分からないけどなんか非常に嫌なんだ。
 
たぶん一部のやつらからは「こいつやべーやつ」みたいな認定をされるんだろうな。されるのかな?考えすぎかな?分からんけど。だからもちろん会社で「休日とか家にいる時何やってるの?」っていう質問に「ブログ書いてます!」なんて言えない。というか言いたく無い。
 
ブログを書いてる人で、同じように周りには自分がブログをやっていることを言わずにこっそりと自分の趣味としてブログを書いている人は多くいると思う。なんか恥ずかしいとか、なんか見られたくないとか、知られたくないとかの理由で。
 
いや、まあ別に「これ僕が書いたんです!」なんて見せるわけもないですからね。ブログってものは。まあそんな人もいるのかな?そんな見て見てブロガーは。中にはいるか。まあほとんどは、周りの誰にも言わずにこっそり書いてるブロガーが多いだろう。
 
こんなにSNSが普及して、XやInstagramが身近な生活になっても、ブログのように長文を書く人はなぜか珍しいと思われる。不思議。でもブログのように長文をかける人って誇れることだと思う。ブログをやっているのが珍しいと思われるのは、それだけの文章量を書ける人が少ないということだから。
そう考えると、周りに話すのはなんか嫌だけど、これも一つの特技なのかなと前向きに捉えることができる。まあ言わなきゃ顔晒してない限りバレる物でもないし、やってて悪いことは何もない。
 
ブログというものが一応特技として認定出来るものであるなら、このまま何年も続けていけば何か今以上に得られるものがあるのかもしれない。そう思ってコツコツとブログを続けている。もし何か得られるものがあったなら、ブロガーをみる世間の目もまた変わっているかもしれない。
 

いつも汁なしを選んじまう 尾道散歩日記

「ドライブしてからお散歩したい」という運転好きで最近お散歩にハマっているの妻からの提案で、祝日というおありがたい3連休初日に広島県尾道市へ行って来た。行きしにセブンイレブンのアイスコーヒーを買って出発。久しぶりに買ったけどやっぱり美味しい。

 

家を出る時は曇っていて天気が心配になったが、向かっている途中にいつの間に晴れたかと思えばそのまま夏のように暑くなってしまった。11月に入ってようやく肌寒くなったと思っていたのに、この日は半袖で十分なほどに陽射しが暑く、長袖シャツを着て来たことをとても後悔した。

 

尾道に到着し、さてまずはお腹が空いたので昼ご飯。尾道尾道ラーメンが有名で、まだ昼のピーク前だろうにどのお店も行列が出来ていた。その中で、まだ行列が出来ていなく美味しそうだった尾道ラーメン一(はじめ)へ。

 

久しぶりに尾道ラーメンを味わおうと思っていたが、メニューを見ていると背脂醤油まぜそばといういかにも美味しそうなラーメンがあり、少し悩んだがそちらを注文した。僕は昔東京で初めて油そばを食べてから、油そばまぜそばを見るとついつい頼んでしまう。

 

今見ても美味しそう

醤油ダレのしっかりした味と、背脂をまとった麺がとても美味しく大満足だった。これだけ美味しければ、普通の尾道ラーメンと悩んでこちらを選んだ価値がある。しかし妻からもらった尾道ラーメンも美味しかったので、次はシンプルに尾道ラーメンも食べてみたい。

 

今回まぜそばを食べている時に背脂の大切さを再確認し、最近スーパーで見かける背脂使えば家でも美味しいラーメン食べれるかもとふと思った。また今度買ってやってみよう。

 

 

 

さて食後にせっかくなら今日はたくさん歩いてみようと、今まで登ったことがなかった千光寺への坂道を歩いてみた。

 

良い天気であったことは嬉しいが、急な坂道を一生懸命登っていると陽射しの暑かったこの日は11月だというのに汗をかき、最終地点まで登る元気が無く途中で引き返した。それでも古い家ばかりで面白い風景が見られて楽しかった。こんな道が近所にあったら良い運動コースになりそうで羨ましく思う。

 

それにしてもここに住んでる人たちはすごい。坂の上だから車を使うことも出来ないし、普段の買い物ですら大変だろうに。それでもやっぱり、ここでの生活が好きなのだろう。

 

 

坂を降りて、商店街をぶらぶら。この日はお祭りをやってるみたいで、人が多くてうんざりしたけど出し物も多くて面白かった。古本屋に立ち寄って面白そうな本を買ってみた。読み終わったら感想書きたいな。

 

ぶらぶらして疲れたので、喫茶店で一休みしてから帰路へ。海も近くて、商店街が賑わって散歩が楽しい尾道。またぜひ行きたい。

心のモヤモヤを物理的に吐き出したい

心のモヤモヤを物理的に吐き出したい

辛いことがあったり思い出したりして心がモヤモヤした時、いつもそんなことを考える。もしこの心の中でモヤモヤしている物を物理的に外に吐き出せる力があれば、この心はどれだけ楽になることか。そんな力があれば、僕のこの人生はどれだけ楽なものになることだろうか。

 

心のもやもやって本当に重たくて、いつも身体から吐き出してしまいたくなる。このモヤモヤだけを吐き出すか、あるいは一度心を身体から取り出してこのモヤモヤを洗ってきれいにしてしまいたい。

そんな特殊能力か秘密道具が欲しい。もしそれが100万円で買えるとしたら、僕は迷わず買うかもしれない。それくらいこのモヤモヤした感情というものは僕の人生の中で取り除きたい大きな問題点だ。

 

なぜ辛いことがあった時、心に黒い重たいもやがかかったような感覚に陥るのだろう。人間という生き物は不思議だ。どうしてホモサピエンスは進化の過程でここまで負の感情を身につけてしまったのか。感情が豊かになりすぎるのも悩みもの。でもまあわざわざ身につけたのだから、必要な感情なんだろう。とはいえこんな感情、なんの役に立つというのか。

 

基本的に負の感情って、生物が「それは命を脅かす危険なものだから、その感情が起こらない場所に逃げて安全に暮らしましょう」って察知するための機能なんだろうけど、そんなの現代社会においては辛い感情を受けずに生きていけるなんてほぼ不可能だし、完全に無駄な機能でしか無い。『ストレス社会』なんて言われながらみんな生きながらえているのだから、その無駄な機能を無くすように進化(この場合退化?)してくれないものだろうか。

 

まあしかし負の感情が無くなった人間社会というのはお金の不安が無くなればみんな最低限しか働かないだろうし、恐怖心や罪悪感無く好き勝手大暴れする人間も出てくるかもしれないし、いろいろとカオスで世紀末な世界になってしまいそうなので厳しいよな。まあ普通に無理だしね。

 

現実的に考えてストレスを感じた時に出来ることは、サウナや運動やブログを書いて吐き出すこと。どれもやればあっという間に気分爽快とはいかないけれど、いろいろ組み合わせて気分転換しながら時間をかけてストレス解消するしか方法は無い。そういう気分転換する方法を持ってるだけ幸せなのかもしれない。でもやっぱり一番は、直接モヤモヤを外に吐き出したいなあ。